リュクサンブール宮殿と公園

[リュクサンブール宮殿]
美しい庭園に囲まれたリュクサンブール宮殿は、パリ6区、ショッピングで人気のサン・ジェルマン・デ・プレ地区の近くにあります。

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もともとは、リュクサンブール公爵のために設計された邸宅でしたが、イタリアからフランス王室に嫁いできた王妃マリー・ド・メディシスのために、彼女の生まれ故郷であるフィレンツェのピッテイ宮殿を模して居城として改築されました。またニコラ・プッサンとフィリップ・ド・シャンパーニュにより内装が手がけられました。

マリー・ド・メディシスがフランスを追放された後は、彼女の孫モンパシエ公爵夫人、プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)などが住み、そ して、ナポレオン・ボナパルトが権力を掴んだ歴史的な舞台ともなりました。

また庭園内には、自由の女神像の原型が設置されてます。ちなみに、フランスがアメリカに自由の女神を送ったお礼に、パリに住むアメリカ 人達がフランス革命100年を記念してセーヌ川のグルネル橋に自由の女神を建てました(セーヌ川参考)。

マリー・ド・メディシスの生涯とは
イタリアはフィレンツェの名門メディチ家に生まれ、1600年、27歳の時に、マルグリット・ド・ヴァロワと離婚したばかりのフランス王アンリ4世への元へと嫁いでいきます。この結婚はフランスの財政建て直しのための政略結婚で、アンリ4世はマリーの結婚持参金を目当てにしていました。アンリ4世は女好きでも有名で、生涯で50人もの愛人がいたとも言われています。結婚当初フランス語の話せなかったマリーにとって王宮の暮らしは孤独であり、またそれを紛らすかのように彼女は毎日のように宝石などを購入し浪費に明け暮れていました。

1601年、王太子ルイ13世を出産。彼女の立場が一気に注目を浴びます。アンリ4世もこれを機に放蕩を自重し、マリーを手厚く扱うようになります。しかし、1610年5月14日アンリ4世はパリでフランソワ・ラバイヤックという精神異常者に刺し殺されてしまいます。そしてマリーは後を継いだ息子ルイ13世の摂政としてフランスの重要な責任を負うことになっていきます。

彼女の政策は、アンリ4世時代の宰相を罷免し、イタリアのアンクル元帥という人物を補佐官として重用。フランス国民を思いやったアンリ4世の方針を破棄し、次第に有力貴族達(息子ルイ13世も含め)の不満が高まっていきます。

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「マリーのマルセイユ到着」
ルーヴェンス作
(ルーヴル美術館)

不利な立場へと徐々に追い込まれていったマリーは、有能なリシュリュー枢機卿を登用して何とか形勢を立て直そうとします。しかし息子ルイ13世は、母マリーをブロワ城に幽閉し、リシュリューを自分の補佐官として見方につけてしまいます。1619年、マリーはブロワ城を脱出し、ルイ13世 の弟オルレアン公ガストンと共に反乱軍を起こしますが、これもすぐに鎮圧されてしまい、その後リシュリューの仲介でマリーとルイ13世は和解し、1621 年まで王立議会の一員として政治に関わっていくことになります。

リシュリューがルイ13世の宰相となり政治の実権をつかむと、マリーはリシュリューの失脚を目論見ます。しかしこの時もリシュリューのほうが上で、1613年マリーはフランスを追放、そしてブリュッセルへと亡命します。

アンリ4世とは
ブルボン朝初代のフランス王で、在位中から現在に至るまでフランス国民の間で人気のある王の一人で大アンリ良王アンリと呼ばれます。

プロテスタント派のアンリ4世は、1572年のパリで起きた「サン・バルテルミの虐殺」(カトリック派によるプロテスタント派虐殺事件)の後、宮廷に幽閉されカトリックに強制的に改宗させられてしまいます。宮廷から逃走するとプロテスタントに一時また戻りますが、王位を継承した後にさ らにカトリックへと改宗を発表。これによりカトリックが優勢なフランス国民の広い支持を受けることになります。1594年にシャルトル大聖堂で正式に戴冠 式が行なわれ(シャルトル大聖堂参考)、1598年ナント勅令ではカトリックをフランスの国家的宗教であると宣言しつつも、プロテスタントにカトリックと同等の権利を与えることを認めてい ます。

一方、アンリ4世と妻マルグリット・ド・ヴァロワとは長く別居状態で、子どももいませんでした。そして迎えられたのがメディチ家のマ リー・ド・メディシスでした。2人の間には6人の子どもが生まれています。

大きな業績としては、セーヌ川のポンヌフ橋を中心とした首都パリの再開発計画や、パレ・ロワイヤルやルーブル宮殿の大ギャラリーを建造しました。また北アメリカにサミュエル・ド・シャンプランを探検に派遣させ、これがのちにカナダにフランス植民地が置かれる基礎となっていきます。

そして1610年パリで暗殺された後、遺体はサン・ドニ大聖堂に埋葬されました。その後フランスはルイ13世、14世と絶対王政時代へと進んでいくことになります。

参考:ウィキペディア

[リュクサンブール庭園]

宮殿に付属する広大なルネサンス様式の庭には、90近い彫刻や噴水、花壇などが配置されています。ジョギングする人、本を読む人、日光 浴をする人、人それぞれに公園で過ごしています。

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メディシスの噴水。マリー・ド・メディシスの命令により作られました。ここで故郷のイタリアを思ったのでしょうか。

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広大な敷地内には花壇が置かれ、花に混ざって野菜が植えられていたり…

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木陰で横になったりランチをしたり。宮殿の正面ではミニチュアヨット遊び。

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また敷地内にはたくさんの彫刻も。ライオンの彫刻と宮殿(左)。そして右の写真は肩の凝りそうな彫刻作品。

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そしてこちらモンパルナスタワーをバックにポーズ。

また、今回訪れた時には、庭園内に変わったオブジェがあちこちに置かれていて興味をそそられました。こうした企画はよく行なわれているそうなので運がいいとちょっとした美術館めぐりができますね。

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作品を一つ一つ見て歩いてみましょう。

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こちらは作品に取り組む男性。木の中に女性が埋め込まれたような作品に仕上がっています。

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大粒の雨粒?そして今にも歩き出しそうなオブジェ。

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こちらは庭園内にある彫刻をアレンジした作品。庭園内が不思議な空間に。

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そしてこちらおもしろいものを発見。コインを入れると体重が計れます。
なぜこんなものが…。ジョギング後にでも計るのかな。

公園を歩いていると、その美しい景色に目がとらわれてしまいますが、ちょっとベンチに座って400年前に起 こっていた出来事を思い出してみましょう。違った景色が見えてくるかもしれませんよ。いろんな人々が歴史上にいて、現在の姿があるんですよね。そして現代 に生きる私達が未来の人々にどんなものを残してあげられるのでしょうか。